2013年3月 コモロの偉大なる聖者

インド洋の西域に散らばる島々には,昔から様々な起源を持つ民族が移り住み,当然彼らと共に様々な宗教も伝えられた。宗教多元主義の好例のような島もあれば,ひとつの島の中でも,宗教実践においてはシンクレティズムを完全に否定出来ない事例もある。それらの島々の中でコモロは,2009年5月の国民投票の結果,憲法においてイスラム教が国教に定められ,その地域では稀な「イスラム教国」であると言えよう。そして,今なおコモロ人の間で偉大な聖者として崇められているのがエル=マールフ(1852 – 1904)である。彼の名の表記は様々であるが,コモロの新聞 『ラ・ガゼット』 紙は,サイード・モハメド・ビン・シェイク・エル=マールフ[アラビア語の転写表記ではサイイド・ムハンマド・ブン・シャイフ・アル=マールーフ]としている(以下同様に[]内はアラビア語転写表記)。

彼の生涯については諸説あるが,一応血縁者から提供された資料に基づいてあらましを述べる。エル=マールフは,自身がグランド・コモロ島のスルタン(アハメド・ベン・アブバカル[アフマド・ブン・アブー・バクル])の孫であり,また同じ島の最後のスルタンであったサイード・アリ[サイイド・アリー]の姉妹を妻に娶るという高貴な家柄の生まれにもかかわらず,謙虚で誠実な性格から,宗主国フランスと結託する義兄弟のサイード・アリと対立して東アフリカに半ば追いやられる。その間に彼は学問と修行に励み,メッカ巡礼を果たした後コモロに戻り,やがて後の師となるアブダッラ[アブドゥッラー]・ダルヴィーシュと出会う。エル=マールフは師が開いたダーラト(サークル)で学ぶことになり,シャーズィリー教団に迎えられてイジャーザ(免許皆伝)を受ける。彼の師もまた,その師であるパレスチナ人のサイード・アリ[サイイド・アリー]・ヤシュルティーから教団を受け継いでおり,その衣鉢を継いだ弟子たちはレバノン,シリア,ヨルダンに広がり,現在ヨルダンではシャーズィリー教団が最大のスーフィー教団となっている。

ヤシュルティー・シャーズィリー教団のカリスマ的なシャイフとして,エル=マールフはコモロ諸島は勿論のこと,マダガスカルやザンジバルに至るまでその名を知られ,毎年彼の命日(第六月ジュマーダー・アッ=サーニーの第26日)には追悼祭が行われている。2007年の103回忌の模様は,上で述べた 『ラ・ガゼット』 紙のトップ記事として扱われ,ヨルダンからのシャイフを迎えた集会の写真が掲載された。

(カリフと大ムフティーの間に座るヨルダン人シャイフ)
*『ラ・ガゼット』紙社主のサイード・オマル[サイイド・ウマル]・アラウィー氏より転載許可

翌2008年の104回忌がコモロで同様に行われたであろう少し後に,マダガスカルのマジュンガをコモロ民話の調査で訪れた際,調査助手のムニール・アラウィー氏から,自分の曽祖父の墓参に行くので一緒に来ないかと誘われた。町はずれの草深いところに向かうのだろうと思っていたら,コモロ人居住区であるラバトワール地区(アバトワールはフランス語で「屠殺場」を意味し,当地区で1976年に起こった凄惨な事件を知る者には多少とも暗示的かも知れない)の賑やかな通りにある大きなモスクに入った。入り口のすぐ横にある墓所にはエル=マールフの子であるサイード[サイイド]・アラウィーが葬られている。彼はモロニのザーウィヤを拡張し,マダガスカルにシャーズィリー教団を定着させた功績によって称えられている。廟のなかで,イマームたちに勧められて彼らと共に祈りを捧げた後,イマームがぼそっとお布施を求めてきた。適当な額を渡そうとすると「そういうものは私ではなく彼に渡すものだ」と言われ,墓守り然とした男性の手に札を握らせた。

(サイード・アラウィーの墓廟)
(イマームたちと「墓守り」)

それから2年後に初めてモロニのザーウィヤを訪れ,金曜日のズィクルを取材することをイマーム(ムニール・アラウィー氏の叔父)から許可され,またエル=マールフの墓廟の前での祈りに参列した。次の写真に写っている手前の柩はエル=マールフの兄弟のものであるらしく,聖者の柩は奥の室内に安置されている。

(エル=マールフ兄弟の廟)
(ザーウィヤでのズィクル)

ここまで「アラウィー」という名が頻繁に出てきたが,調査助手のアラウィー氏はエル=マールフの玄孫に当たる。また『ラ・ガゼット』紙の社主サイード・オマル・アラウィー氏は彼の父親で,その夫人はハドラミーの家系でコモロ民話の研究者である。エル=マールフから数えて五代目のムニール・アラウィー氏は,日本オタクのビデオ・アーティストで,現在住んでいるレユニオン島ではバカロレア(フランスの大学入学資格)試験で外国語としての日本語の口頭試問試験官,またMondes du cinéma(『映画の世界』)という日本映画を専門に扱う雑誌の編集主幹を務めており,AA研の招きで二回来日して映像と民話のコラボレーションについての講演を行っている。

(小田 淳一)

(コモロ語表記や幾つかの歴史的事実などについて北海道医療大学の花渕馨也氏より,またアラビア語転写表記についてはAA研の飯塚正人氏よりご教示頂いた。)

バックナンバー

Back Issues

Copyright © Field Archiving of Memory  〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1  TEL: 042-330-5600
Copyright © Field Archiving of Memory    3-11-1 Asahi-cho, Fuchu-shi, Tokyo 183-8534    Tel: 042-330-5600