2011年9月 JaCMESとレバノン政治
「中東研究日本センター」(The Japan Center for Middle Eastern Studies略称JaCMES)はHPにも記載されているように、ベイルート中心部の「ダウンタウン」に位置すると共に、周辺にはレバノンの首相府や国会議事堂が存在する。従って、閣議開催中や国会会期中には、交通規制がしばしば行われるのをオフィスから観察することが可能であり、現代レバノン政治の息吹を肌で感じながら勤務している。
ところで、JaCMES周辺には、現代のレバノン情勢と関わりのある施設や場所などが、他にもいくつか存在している。そこで、今回はそれらを紹介することにしたい。
フランスからの独立を達成した(1943年)後のレバノンにおいて、初代首相を勤めたリヤード・スルフの銅像は、同元首相の名を冠した広場の一角に、首相府の方に背を向けて立っている。ベイルートにおける名門家系の一つであるスルフ家は、その後も首相を数度に渡って輩出してきたが、近年ではラシード・スルフ(在任期間:1992年5月〜10月)が最後となっており、また国会議員も出していない。なお、この「リヤード・スルフ広場」では最近、レバノンにおける「宗派主義」の廃絶や、刑務所内の囚人の待遇改善を求める集団が座り込みを行い、マスコミでも報道された。
この銅像の背後に見える建物は、国連「西アジア経済社会委員会」(The Economic and Social Commission for Western Asia略称ESCWA)本部。同機関の加盟国の一つであるバハレーンにおいて、政権側のシーア派に対する弾圧が続く中、レバノンのシーア派組織である「ヒズブッラー」や「アマル運動」の支持者を中心とする抗議活動が、本年3月16日に同本部前で行われた。午後5時位から始まったので、自宅に戻るために歩き出したところ、セルビス(乗り合いタクシー)やバスから、参加者たちがぞろぞろと降りてくる場面に遭遇した。翌日の新聞によれば2000人ほどが集結したとのことであるが、大きな騒動にはならなかった。
2005年2月14日に爆殺されたラフィーク・ハリーリー(R・ハリーリー)前首相(当時)が、側近などと人生最後のコーヒーを飲んだ場所。同氏がカフェを離れる際に撮影された写真は、次に紹介する「ハリーリー廟」に大きく飾られている。R・ハリーリーの子息、サァド・ハリーリー(S・ハリーリー)を主軸とする「3月14日連合」勢力にとっては、当然のことながら思い入れのある場所のため、同連合所属議員の姿を見かけることも多い。
ハリーリー廟はご覧のように、テント形式である。中には、R・ハリーリーのみならず、爆殺事件で亡くなった側近やボディガードらの遺体も安置されている。3月14日連合サイドは「聖地」と見なしているため、同連合にとって重要なイベントの前には参詣する所属議員の姿が絶えない。
2005年2月のR・ハリーリー爆殺事件発生後、同事件に対するシリアの関与が疑われる中、レバノンを当時「支配」していたシリアとの関係維持を望む勢力が3月8日に、同国との関係見直しを主張する勢力が3月14日に、それぞれ数十万人規模の大規模な集会を持った場所。これらの記念すべき日付を取り、現代のレバノン政治を二分する勢力である3月14日連合と、「3月8日連合」の名称が生まれた。
なお、本年3月13日には、3月14日連合側が結成6周年記念式典を開いたが、日曜日の開催としたことや、穏やかな春日和であったことも作用して、数十万人が参集した。その際、S・ハリーリー暫定首相(当時)は、R・ハリーリー爆殺事件を審理している「レバノン特別法廷」に関する対応を巡り、ヒズブッラーとの対立を深めている状況の下、同組織が保有する武器の問題に焦点を当てたネガティブ・キャンペーンを行った。
このように述べただけでも、JaCMESがレバノン政治を肌で感じられる場所に位置していることがご理解頂けたかと思う。今回取り上げた場所が、今後のレバノン政治においてどのような意味合いを帯びてくるのか、歴史的な視点も大切にしつつ観察を続けていきたい。
(小副川 琢)