2011年10月 肉屋の兄ちゃん

テヘランは人口850万もの大都会であるが、旅行者にははなはだ不親切な町である。公共交通機関としては、バスや乗合タクシーがあるが、とてもでないが旅行者には使いこなせない。バスの路線図が手に入ることは少なく、しかも始終路線が変わってしまう。乗合タクシーはペルシア語が達者で、地図が頭に入っていなければ、利用できない。私も、学生時代は、通りに絶望的な気持ちで立ちすくむときがしばしばあった。

そうした状況を変えつつあるのは地下鉄である。1999年に最初の路線が開通して以来、着実に路線が増え、4路線で総距離は100キロメートルを超えているという。近年などは訪れる度に新しい路線が開通し、新しい駅ができているほどである。表示されている路線図が完成予定図なので、今現在どこまで通じているのかがわかりにくいのが難点であるが、意外にダイヤが守られ、ホームには液晶テレビも据え付けられており、およそ20年前には考えられなかった世界である。でも、スイカのようなICカードはあるが、切符の自動販売機はない。

その南北を結ぶ一号線にジャヴァーンマルデ・ガッサーブという駅がある。ジャヴァーンは「若い」、マルドは「男」、ガッサーブは「肉屋」であるから、直訳すれば「肉屋の兄ちゃん」とでもなるだろうか。もちろん、「ジャヴァーンマルド」とは「勇敢な」とか「俠気のある」という形容詞でもあるから、「肉屋の勇者」とか「勇者である肉屋」という方が正確かもしれない。抽象名詞化した「ジャヴァーンマルディー」はアラビア語の「フトゥッワ」に相当する。「若者らしさ」が転じて、正義を追求し、うそや中傷を行わず、進んで人助けをするような態度をいうという。日本語で近いのは「任侠道」であろうか。いずれにせよ、地下鉄に乗りながら路線図を見て妙な名前の駅があるなと思っていたのであった。

それがあるとき、この名前が実は由緒あるものだということを知った。14世紀に書かれた地理書にこの地方に埋葬された偉人や聖者の一人として、この人物が取り上げられているのである。これは是非とも行かねばなるまいと思い、図書館通いの合間に地下鉄に乗って出かけていった。乗ったのはもちろん男臭い男性専用車両である。

町の中心から10分ほど乗って「肉屋の兄ちゃん」の駅を降りると愕然とした。

(地下鉄の駅を出たところ)

写真の通り、ものの見事に何もないのである。確かにテヘランの地下鉄の駅は妙な場所に置かれていることがままあるのではあるが・・・。そして、当然のように駅名のもととなった墓廟への案内板もない。仕方がないので、地図で畑を突っ切って、それと思われる方角へ進むことにした。畑の向こうは住宅街で、それを越えれば公園に出た。何の変哲もないどこにでもありそうな公園である。でも、それらしいものは一向に見あたらない。さらに大通りを進もうとして、ふと不安になって店の人に尋ねると逆方向だという。再び公園に戻ると、

(公園の向こうに見える墓廟)

公園の端になんだか新しい冴えない建物が建っている。

(「肉屋の兄ちゃん」の墓廟)
(墓廟の看板)

看板が立っており、ようやくそれとわかった。

とても14世紀のものとは見えないこの建物は、最近「修復」されたもののようである。ものの本には、中にはかつては19世紀に記された銘文があったと記されている。しかし、扉が閉められていて、私は中に入ることができず、参詣者がある気配もなかった。このため、建物は単なるオブジェのようにしか見えなかった。しばしば、セルジューク朝やモンゴル時代の墓塔などがそうであろうように、周囲とまったく切り離され、いわば完全にモニュメント化してしまっているのである。

ただ、これは現在の状況に過ぎず、少なくとも19世紀までは周辺の人々の信仰生活において、この廟が一定の位置を占めていたことは疑いない。そして、この地方の歴史を考えるとこの廟の存在は極めて例外的であることに気づく。なぜなら、昔この地方に存在した聖廟の多くは姿を消してしまっており、残っているのは有名なシャー・アブドル=アズィーム廟とこの「肉屋の兄ちゃん」の廟だけなのである。そして、この廟が生き残った理由の一つとして、次のような伝説の存在が指摘される。

ある日、高貴な女性が自分の女奴隷に肉を買いに行かせた。女奴隷は肉を「肉屋の兄ちゃん」から買い、家に戻った。肉の質が良くなかったので、女主人はその肉が気に入らず、取り替えてくるように命じた。女奴隷は「肉屋の兄ちゃん」のところに行き、肉を交換して戻った。しかし、女主人はまたもその肉が気に入らず、もう一度交換してくるよう、命じた。女奴隷はまた肉屋に行き、交換したが、その肉も女主人は気に入らなかった。肉屋は「もう一度肉を持ってきたら、おまえを殺す」と女奴隷に言っており、女主人は「今度悪い肉を持ってきたら、おまえを殺す」と女奴隷に言った。女奴隷は途方にくれて道にたたずんでいた。そこにアリーさま(4代正統カリフ、初代シーア派イマーム)一行が話を聞いてやってきた。アリーさまは、女奴隷のために肉屋に肉を交換してくれるよう頼んだ。肉屋はこれを断り、「もし、また来たら、ひどい目にあわせるぞ」と言った。次に、アリーさまは女主人のもとへ行き、女主人に女奴隷を赦してくれるよう頼んだが、女主人はこれを拒否した。アリーさまは再び肉屋のもとに行き、肉を交換してくれるよう頼んだ。肉屋はアリーさまの胸を殴った。アリーさまは泣きながら去った。このとき、ある男が肉屋に「今殴った相手が誰だか知っているか」と尋ねた。肉屋が「いいや」と答えるとその男はそれがアリーさまであることを告げた。「どうして知っているのだ」と肉屋が尋ねると、男は「私は天使ガブリエルである。このことをおまえに告げるために天から降りてきたのだ」と答えた。肉屋は自分のしたことを後悔し、アリーさまのもとへ駆けつけて赦しを請うた。そして、すべての自分の財産を女奴隷に与えた。アリーさまは肉屋を赦した。

この伝説は、イランで毎年行われるシーア派のタアズィエ(殉教劇)の中にも取り込まれた。別のフトゥッワ(任侠道)に関する文献では「肉屋の兄ちゃん」はアリーの高弟の一人に数えられている。そして、イランにおけるフトゥッワはサーサーン朝時代までさかのぼるとも言われている。完全にモニュメント化してしまった「肉屋の兄ちゃん」の廟であるが、これもまた、イラン的伝統とシーア派イスラームの習合の一事例と言いうるのかもしれない。

(現代のテヘランの肉屋)

(近藤 信彰)

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